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東京都大田区
スフィア基準をふまえた避難所入浴環境の“実装モデル”
在宅・広域避難と公衆浴場活用を組み込んだ検討プロセス

令和6年能登半島地震などを契機として、近年は避難所の生活環境整備の重要性がより強く意識され、その際には「スフィア基準」が目安・目標として掲げられるようになってきました。しかし自治体が大規模災害への対策を検討する場合、被害想定とスフィア基準から単純計算で導かれる避難所や必要物資の数量はしばしば膨大なものとなります。目標水準と現実のギャップを前にして、かえって検討が滞ってしまう面も否めません。
そんな中、東京都は令和8年3月に「東京都避難者生活支援指針」を発表し、首都直下地震(都心南部直下地震)などの大規模災害も視野に入れた対策の方向性を示しました。これと並行して東京都大田区は「自宅・被災地外への避難誘導」や「地域の公衆浴場の活用」といった前提を改めて整理することで、限られた予算内でも段階的に実現可能なかたちで避難所環境整備を進めています。
その一環で大田区より水循環型シャワー「WOTA BOX」計15台の導入を決定いただいたことから、WOTAはこのたび同区の防災改革チームをお招きした勉強会を実施し、スフィア基準をふまえた大規模災害対応の検討プロセスについて詳細を伺いました。本記事では、同様の課題に向き合う全国の自治体・防災関係者の方々に向けて、大田区の検討プロセスのエッセンスをお伝えします。
能登半島地震が変えた、避難所環境の改善目標
令和6年に発生した能登半島地震においては、広範囲で断水が長期化したことで、多くの被災者の方々が数カ月にもわたって1次避難所での生活を余儀なくされました。過去の大規模災害の際にも繰り返し表面化してきた、避難者の心身の衛生や快適性をいかに確保するかという課題が、いま改めて問い直されています。
能登半島の避難所環境の実態について調査・検証を行なった内閣府は、令和6年12月に「避難生活における良好な生活環境の確保に向けた取組指針」を改定し、各自治体が大規模災害に備えるための具体的な目安をたとえば以下のように盛り込んでいます。
・生活空間の確保:スフィア基準に沿って、1人当たり最低3.5㎡の居住スペースとなるようにすること。
・トイレの確保・管理:スフィア基準に沿って、発災後初期段階では50人に1基、中期段階では20人1基とし、
女性用と男性用の割合が3:1となるように想定避難者数に応じて対応すること。
・生活用水の確保:スフィア基準に沿って、入浴施設(シャワー、仮設風呂等)を50人に1つ設け、
男女別に提供するようにすること。
ここで根拠とされている「スフィア基準」とは、災害や紛争の被災者が最低限の生活環境を確保できるように定められた国際基準であり、1997年にNGOや国際機関のプロジェクトで策定されたものです。上記の指針はあくまで各自治体のための目安(参考)としてまとめられたものですが、その後の令和7年6月に閣議決定された「第1次国土強靱化実施中期計画」においては、スフィア基準を満たす災害用物資・資機材の備蓄を行なっている市区町村の割合を令和12年までに100%にするという計画が示されています。
しかし大規模災害を前提とした場合、スフィア基準をふまえて単純計算で導かれる対策の物量は、各自治体にとっては高いハードルとなり得ます。たとえば首都直下地震(都心南部直下地震)の被害想定では都内の避難所避難者数は約200万人とされており、単純計算では入浴施設(シャワー、仮設風呂等)だけで最低4万基が必要になります。
「大田区においても、従来の防災計画では小規模災害への対応は進んでいたものの、大規模災害への対応については現実的な筋道を見いだせず、検討が行き詰まってしまう面がありました」と大田区防災危機管理課の長谷川敬 防災計画担当課長は語りました。長谷川課長が率いる防災改革チームはそんな状況を打開することを目指して、首都直下地震クラスの大規模災害にも対応可能な地域防災計画の策定に着手し、数年がかりで避難所環境の改善に注力してこられたそうです。
目標と現実のギャップを直視し、数年計画で改革
長谷川課長によれば、大田区の防災改革チームが検討プロセスの最初に取り組んだのは、同区の現状(令和4年度時点)の災害対応能力を客観的に評価することでした。
東京都の被害想定においては、首都直下地震発生時の大田区内の避難所避難者数は約21万人と試算されています。仮定された都心南部の震源に近い同区は、特に大きな被害が想定される区の1つです。
これを受けて防災改革チームが当時の避難所・備蓄の規模を自己評価したところ、スフィア基準をふまえた目標値に対して、避難所の居住スペースは学校120校分、物資保管スペースは備蓄倉庫8棟分、必要物資は金額換算で100億円分も不足していることが判明したそうです。目標と現実の間には、大きなギャップがありました。
「ペットのための空間やゴミの置き場所なども考慮すると、このままでは大規模災害時に難民キャンプよりも酷い状況になってしまうことが明らかでした」(長谷川課長)
そこで、防災改革チームは令和5年度から段階的に危機管理体制の見直しに着手。必要物資の調達や災害時物流の最適化を進めるのみならず、警察や消防、自衛隊の連携訓練を実施し、職員の再配置を行うといった組織力の強化にも取り組んできました。
しかし、それでもなお、想定で21万人という膨大な避難所避難者数に対してスフィア基準で対応することは容易ではありません。そこで防災改革チームが見出した方針は、避難者数の前提に立ち戻り、「避難所避難」「在宅避難」「被災地外避難」の位置づけを整理し直すことでした。

避難所人口を抑制する、段階的な避難誘導プラン
防災改革チームは「スフィア基準の適用は無理だ」と立ち止まるのではなく、最低限満たすべき備えの水準を把握し、それを当面の目標に据えようと考えたそうです。
「使用可能な自宅や被災地外へと避難者を誘導した上で、なおも避難所に残る方々を最低限の対象者としてスフィア基準を満たすという方針を定めました」(長谷川課長)
大田区防災会議が令和7年10月に公表した資料(※)には、この考え方を具体的な数字に落とし込んだ現時点での災害対応プランが示されています。発災直後から1週間後までは全避難者を避難所で受け入れるものの、その後1週間程度で可能な限り在宅避難または被災地外避難へと住民を誘導し、発災2週間後以降を「スフィア期」と見なすという移行計画です。トイレや入浴施設(シャワー、仮設風呂等)などの衛生設備は発災直後から展開しつつ、最低でも2週間後には避難所でスフィア基準が満たされるという想定になっています。
このように被災者を適切な避難先へと誘導する“交通整理”のような期間を設けることで、避難所避難者数はピーク時の約21万人から、発災2週間後には3.2万人まで抑制することが可能であると、防災改革チームは試算しています。
(※)大田区「避難所環境の改善・在宅避難支援体制の構築について」

在宅避難に関しては、住民が自ら建物の安全確認をするためのチェックシートを内閣府や国土交通省が作成しており、大田区もそれらの周知・活用を本格的に推進していく計画だそうです。また被災地外避難については、多くの自治体間で結ばれている災害時相互支援協定に「被災者の一時受け入れ」に関する条項が盛り込まれています。
“入浴空白エリア”を特定し、水循環型シャワーを導入
在宅避難や被災地外避難を最大限に推し進めることで、避難所の居住スペース不足という問題はある程度まで解消可能だと考えられます。しかし、数万人規模の避難所避難者の心身の衛生をどう守るかという入浴環境整備の課題は、依然として残ります。
災害時の入浴手段として、多くの方は能登半島地震の際にも活躍した自衛隊の「野外入浴セット」を思い浮かべるかもしれません。しかし、元自衛隊幹部としての経歴も持つ長谷川課長によれば、自衛隊のみに頼った対策は現実的とはいえません。
「自衛隊の野外入浴セットは全国に20基ほどしかなく、設置場所などの計画・調整にも時間がかかるため、大規模災害時の対応能力には限界があります」
長谷川課長の主導により、大田区では自衛隊支援の対象エリアや運用部隊に至るまで事前のすり合わせを行なっているそうです。それでもなお、野外入浴セットは区内1箇所に1基を展開するのみに留まる想定です。
大田区はほかにも、銭湯の組合である大田浴場連合会や、入浴設備を持つスポーツクラブとも災害時連携協定を結んでいます。しかし、防災改革チームが地図上での検討を行なったところ、銭湯やスポーツクラブなどの公衆浴場の徒歩圏外にあたる避難所が複数存在することが分かったそうです。これらの避難所の想定収容人数は計750人のため、スフィア基準をふまえると、最低でも15基の入浴施設(シャワー、仮設風呂等)が必要になります。
このように、自衛隊支援や公衆浴場といった既存手段を活用してもなお残ってしまう“入浴空白エリア”において被災者の衛生を守るためには、備蓄や展開が容易な非常用の入浴手段を確保しなければなりません。

そこで防災改革チームの一員である大田区防災危機管理課の小池泰然 主査は、可搬型の災害用シャワーの購入検討に乗り出しました。小池主査は性能や価格の異なる複数メーカーのシャワー製品を比較し、予算をまとめる財政課ともやり取りを重ねたそうです。
「防災改革チームと財政課が重視したのは金額だけではなく、災害時に本当に活用できるのかということでした。特に、断水や停電が長期化した場合も想定すると、外部からの水や電気、ガス供給を必要とするシステムは使用が困難だと考えました」(小池主査)
そうした最悪ケースも考慮した検討の結果、限られた水を再生して繰り返し使用することができ、独立した電源や給湯器も備える水循環型シャワー「WOTA BOX」が有力な選択肢として残ったとのことでした。

結果として、大田区は令和7〜8年度の2カ年で「WOTA BOX」計15台を導入することを決定し、複数ある備蓄倉庫への最適な配備方法についても検討を進めています。
課題に気づいたタイミングこそ、対策を進める好機
防災改革チームは以上のような検討プロセスを財政課にも明示して災害用シャワーの購入を進めたため、「WOTA BOX」導入にあたって、大田区役所内ではこれといった異論は生じなかったそうです。
「私は当時、防災危機管理課に異動したばかりで、防災分野の経験はまだ浅い部分もありました。また大田区は他の自治体と同じく、財政面の制約を抱えています。それでも関係者が明確なビジョンを共有したことで、必要な対策をスムーズに進めることができました」(小池主査)
避難所避難、在宅避難、被災地外避難の3つを組み合わせる考え方は、令和8年3月に策定された「東京都避難者生活支援指針」の構成にも反映されており、今後の大規模災害対策における参照点となっていくと考えられます。その上で大田区が示した「在宅避難や被災地外避難への移行フェーズを設けて避難所避難者数を抑制する」「自衛隊支援や公衆浴場などを最大限活用した上で、残る入浴空白エリアに災害用シャワーで対応する」といった検討プロセスは、多くの自治体が取り入れることができる入浴環境整備のモデルとなり得ます。
災害用シャワーに関しては、避難生活が長期化した場合に被災者の心身を支え、災害復興に向けた活力を生み出すための重要な要素として、政府も対策を推し進めています。東京都の災害用シャワーの補助対象は従来の350万円/式から、令和8年度には800万円/式まで拡充されており、全国的にも「地域未来交付金」や「緊急防災・減災事業債」、「防災力強化総合交付金」といった補助制度の対象となっています。
「今なら補助金を活用できるという“適時性”も、庁内で対策を進める際の大きな後押しになりました。機会を逃さず、課題に気づいたタイミングで早めに動くことが重要なのだと思います」(小池主査)

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